アラスカには標高6190.4mという北米で最も高い山がそびえていますが、この山は、ある時は「デナリ」(Denali)、ある時は「マッキンリー」(McKinley)と呼ばれ、これまでに正式名称が何度も変更されています。最近も2025年に政権に返り咲いたドナルド・トランプ大統領が就任初日に署名した大統領令により「デナリ」から「マッキンリー」に変更されたばかりで、現時点では「マッキンリー」が正式名称となっています。ここでは、こうした名称の変遷とその経緯をまとめてみたいと思います。
先住民の呼び方は「偉大なるもの」(デナリ)
まず、最も古い名前は「デナリ」です。これはアラスカ先住民の言葉で「高きもの」または「偉大なるもの」といった意味があり、彼らは何千年も前から敬意を持ってこの山をそう呼んできました。
「マッキンリー」は第25代大統領
最初に「マッキンリー」という名前が登場したのは1896年です。米国が1867年にロシアから購入して49番目の州となったアラスカは、当時ゴールドラッシュに沸いていました。先住民以外にも外部から多くの人間が集まるようになり、その一人だった探鉱家のウィリアム・ディッキーがこの山を見て感動し、当時大統領選に出馬していたウィリアム・マッキンリーにちなんでマッキンリー山と呼んだのです。その後第25代アメリカ大統領(1897-1901)に就任したマッキンリー大統領は金本位制を支持しており、ディッキーもその立場を支持していたようです。アラスカですごい山を見つけたというディッキーの書いた記事は1897年にニューヨーク・サンに掲載され、彼がそれをマッキンリー山と呼んだため、その呼び名が定着し、1917年にはついにこれが国の認める正式名称となりました。
山はその後も長らく「マッキンリー」と呼ばれていましたが、アラスカの先住民や多くの地元住民は、伝統的な名称の復活を望んでいたため、アラスカ州議会は1975年にこの山の名称を「デナリ」に戻すよう連邦政府に請願。また1980年には、州法に基づき、山と周囲の国立公園の呼称を「デナリ」にしました。ただし、連邦レベルでは、マッキンリー大統領の出身地であるオハイオ州の議員たちなどが強く反対したため、「マッキンリー」が使われ続け、この問題は長い間解決しませんでした。
オバマ政権で「デナリ」が復活
そして登場したのがバラク・オバマ大統領です。2015年、オバマ政権下の米国内務省は、先住民文化に敬意を表し、地元アラスカの意見を尊重して、山の正式名称を「デナリ」に変更すると発表しました。
トランプ大統領が再び「マッキンリー」に
これで一見落着かと思いきや、そうではありませんでした。オバマ政権の後に続いたトランプ大統領は、最初は「デナリ」への名称変更に否定的なコメントをするにとどまっていましたが、ついに2度目の就任で行動を起こし、「デナリ」から再び「マッキンリー」に戻したのです。
アラスカの先住民や多くの市民が落胆したのはいうまでもありません。アラスカでは、共和党支持者も含め、名前の変更を支持しているのは有権者の26%にとどまるといわれています。
マッキンリーにこだわる理由
では、なぜトランプ大統領はそこまで「マッキンリー」という名前にこだわるのでしょうか?
理由はいくつか考えられます。
まず、アメリカの伝統や歴史的意義を保護・重視する保守的な視点です。トランプ大統領の署名した大統領令自体が「アメリカの偉大さを讃える名称の復活」(Restoring Names That Honor American Greatness)となっているように、マッキンリー大統領の功績を讃える意図があると見られています。マッキンリー大統領は、アメリカの経済発展だけでなく、ハワイの併合や米西戦争後のプエルトリコ獲得など領土拡張にも大きく貢献しており、こうした実績を象徴的に称賛した可能性があります。グリーンランドやパナマ運河の獲得に意欲を見せるトランプ大統領は、マッキンリー大統領を強く意識しているのかもしれません。
また、党派的な背景もあり、マッキンリー大統領は共和党だったため、同じ共和党であるトランプ大統領は党の歴史的なリーダーに敬意を表した可能性があります。
さらに、無視できないのがオハイオ州の存在です。オハイオは選挙の鍵を握る激戦州の一つで、トランプ氏はオハイオを含む「ラストベルト」地域での支持を重視しており、地元住民の感情を意識して「マッキンリー」という名称を支持したとも考えられます。
将来の可能性
そういう状況なので、今後もしオバマ大統領のような考えの人が政権を取れば、また「デナリ」に変更される可能性も十分あると思います。北米最高峰の名前を覚える時は、ちょっと面倒ですが、「デナリ」と「マッキンリー」を両方一緒に頭に入れておいた方が良さそうですね。